嗚呼惨哉海嘯の碑  -思ひ去りて思ひ来たる-

嗚呼惨哉海嘯の碑
越喜来の海
防潮堤
概  要

明治29年(1896)6月に発生し東北地方に激甚な被害を及ぼした三陸さんりく津波の記念碑。岩手県のらい村(現大船渡市)の被災状況を刻む。津波に流された人々は苦しみながら死んでいき、幸いに生き残った者も財産を失って生活の困窮が残されたという。撰者は近村の禅宗寺院の住職。自身も被災の辛苦を味わったためか、津波の残酷さを、これでもかと言わんばかりに書き連ねている。碑文全体の構成が整理されているとは言えまいが、これは感情が一気に文章へと発露したためと考えられ、かえってことの重大さ・悲惨さは良く伝わってくる。被災からいまだ2年しか経ておらず、諸方の義捐金により次第に生活は安定してきていたが、「思ひ去りて思ひ来たる」との文言は、撰者ばかりでなく当時の被災者一般の感情であっただろう。三回忌にあたり、津波被害の言い伝えが将来消えてしまわないよう、また亡霊供養が永久に継続されていくよう願って、当地の人々により造立された。

資料名 嗚呼惨哉海嘯の碑
年 代 明治31年(1898)
所 在 円満寺|岩手県大船渡市三陸町越喜来前田
 北緯39°07’11″ 東経141°48’54”
文化財指定     
資料種別 石碑
碑文類型 同時代的事件(災害)
備 考 本碑の題が碑面冒頭に刻まれているが判読困難。資料名は仮題。
ID 0061_2502

目次

翻刻

「嗚(篆額)呼惨哉嘯」
   海嘯〔碑ヵ〕  篆額   曹洞宗大本山勅〔性〕海慈船(森田悟由)禅師
夫人之世、悲哀之最甚者、無大於災死者也。明治廿九年六月十五日、我陸之大海嘯、古今
見其災変也。是日正当陰暦端午、家々欒、謡舞楽。至午後八時、怒濤湃、々来襲。忽而溺没
人畜、尽財産。其害所及、南北殆亘一百里。喜来村、為中心矣。其被害之町村、沈没波底数
霊漂溺不還、空為海中憾極若〔是ヵ〕。鳴呼、天禍国民、何夫酷哉。田変為海、家屋為野。寐
無衣、食無粟。遺族号、莩相望。親子兄弟、翁夫妻、忽異冥、鬼哭々、叫尋之海底、屍躰累々、
上無日不焼屍。遺民為寡為孤独者、号泣於天、悲鳴於海浜数日、尚不知飽。其惨憺、実不可言
也。勇将猛士、斃身于千軍万馬之中、殞命于煙弾雨之間者、其死也誠雖可悲、元是赴義殉国之
、而不朽之名誉垂万世、其身雖没、有不没者、其骨雖朽、有不朽者。鳴呼、回海嘯、其至仆不測之災
者、非所戦死之可比也。嗟誰無父乎。誰無子乎。父死而無葬之子、子死而無哭之父。父子夫婦兄弟姉
妹、同非命也。今而想〔之ヵ〕恨綿々、千歳不尽。千万人中、偶存餘生者、々得維縷之命矣。奉上
渥 天恩之恤、下以万衆之義捐、次就業得安堵焉。独於于海嘯死者、何日得至土彼岸乎。
鳴呼、思去思来、洵不堪血涙。夫徳之人、終天寿而死、尚且不免淪生死海也。況於此境之死者乎。
其煩悶苦悩、素非人智所可量知也。今茲遭被害三周之辰、越喜来村浜青年共同会員、追悼
部落数十戸惨死之男女百弐拾餘名之霊、喜捨浄財、建碑於此地。会員及川菊三郎、来請文于余。謂
恐其年月弥久、碑湮没也。余応需、叙梗概。其冠以禅師篆額者、蓋冀福伝于悠遠也。 銘曰、
哉海嘯、 没老漂少。 家屋流亡、 天地悲叫。 怒濤澎湃、 震軸壊。 人畜沈淪、 涙充世界。
欲修利、 有志地。 追慕碑、 以出離。 乎群霊、 修福冥。 共登路、 永輝溟。

明治三十一戊戌歳六月中浦
        雲二十世文山和哺誌

現代語訳

〔1.津波の襲来〕
「あ(篆額)あ津波、残酷なものよ」
   大津波□□□□
人が世の中を生きていく中で最も悲しく哀れなのは災害によって死ぬことで、これよりひどいものは無い。明治29年(1896)6月15日、我が三陸さんりく地方の大津波は、昔より今まで見たことのないような災害だった。この日は、陰暦でまさに端午の節句(5月5日)に当たる。家々では人々が集まり楽しく語らいの時間を過ごし、歌ったり舞ったりして和やかに楽しんでいた。午後8時にいたり、怒り狂ったかのように大波がみなぎり、まるで高く切り立った山のごとく襲い掛かってきた。たちまち人や家畜は溺れ沈み、財産はすっかり滅してしまった。その害の及んだところは、南から北までほとんど百里(約390キロメートル)にわたっている。
〔2.越喜来村の惨劇〕
らい村は、(南北にわたった被害域の)中心である。災害をこうむり水底に沈んでしまった町や村は数箇所あった。生きとし生けるものは水に漂い溺れて返ってこず、空しく海中にて亡霊となりはてた。恨みが極まり永久に尽きない状況というのはこのようなものである。ああ、国民に対する天のお咎めは、どうしてこんなにも酷いものなのだろう。あたかも桑畑が大海となるように、災後世界は一変し、家屋(のあったところ)は広々とした野原になってしまった。寝るにも(寒さをしのぐための)衣服が無く、食事をするにも穀物が無い。遺された家族は叫び泣き、(道々では)餓死者の死体が眺められる。親子、兄弟、夫妻、老母老父    突如彼らはあの世とこの世とで住む世界を異にした。(あの世では)亡霊は物悲しくすすり泣き、ひろに深き海の底で叫んでいる。死体は累々るいるいとつらなり、岸辺では屍を焼かない日などなかった。遺された人々のうち、夫や妻を失った者、(養育者・庇護者を亡くし)身よりのない孤独の身となった者は、飽くこともなく幾日も、空にむかっては泣き叫び、浜辺においては悲しみの声を張り上げた。その嘆かわしさや悲しさは、まことに言葉で表現することはできまい。
〔3.横死のやるせなさ〕
勇猛な将軍や武士が、千軍万馬まじわる(大戦乱の)中で戦死したり、雨のように降り注ぐ弾丸や火薬による発煙の中で命を落としたりすることはある。その死は、まことに悲しむに足ることではあるけれども、そもそもこれは正義に基づく行動であり国家のために殉じたのだから、不朽の名誉が万世に伝わることになる。その身は没してしまったといっても、没していない何かがあり、その骨は朽ちてしまったといっても、朽ちてしまわない何かがあるのである。ああ、このたびの津波において、不測の災いで死亡するに至ったことは、戦闘における死亡との比ではない(=何の名誉もなく空しい)。ああ、父親のいない人などあろうか。子供のいない人などあろうか。父親が亡くなっても彼を葬る子供が(同じく亡くなってしまって)いない場合があり、子供が亡くなっても彼に傷み泣く父親が(同じく亡くなってしまって)いない場合がある。父子・夫婦・兄弟・姉妹が、ともに天寿を全うせず亡くなってしまった(場合もある)。今にしてあれ(=津波)のことを思うと、その恨みは長く続いて絶えることなく、千年にも尽きないものであろう。
〔4.生者の救済 亡者の苦悶〕
千人万人のうちに、偶然にも(生き残って)人生の残年を生きる者は、あえぎつつ一本の糸すじにその命をつなぐことができるばかりであった。(ところが)お上にあっては、ねんごろで手厚い天皇の恩恵があり、下においては万人の義援金があって、しだいしだいに生業を得て安堵の思いを成すことができた。(しかし)津波に亡くなってしまった人々においては、いったいいつになれば生死の世界を解脱し安楽の地に至ることができるのであろうか。ああ、思いが去ったと見れば思いはまた募り、血涙は誠にとめどなく流れる。そもそも積んだ功徳くどくの少ない人が天寿を全うして亡くなる場合ですら、(だつせず)輪廻りんねの深い海に沈んで抜けられないことがある。今回のような、思うにまかせないまま亡くなる人については、言うまでもないことである。彼らがどれほど苦しみ煩っているかは、もとより人智の計り知れないことである。
〔5.建碑の経緯〕
今ここに被災三周に当たり、越喜来村浦浜うらはま青年共同会員は、(ここまで)部落数十戸の無残にも亡くなってしまった男女120余名の霊を追悼し、浄財を喜捨して石碑をこの地に建てる。会員及川菊三郎が私のもとに来て文章の作成を請うた。(石碑建立の理由として)久しい年月が経てば、恐らく口伝えに(その悲惨さを)言い伝えることができなくなってしまうと言うのである。私はその求めに応じ概略を述べてきた。碑文の冒頭に森田悟由禅師の篆書を掲げたのは恐らく、(仏教による)追善供養が永遠になされるようにとの願いからであろう。めいは以下の通り。
〔6.銘〕
  〇以下押韻ごとに改行。換韻ごとに空白行を挿入。
津波は残酷なものよ、若者を流し老人を溺れさせる。
家屋は流されて無くなり、悲しみのあまり天に地に叫ぶ。

怒り狂った大波がみなぎり湧き立ち、大地を揺らし破壊する。
人も家畜も深く深くしずみゆき、世界にあふれる涙。

追善を成さんと思い、有志の者はその地を選ぶ。
追慕の情は石碑に□□し、そうして涅槃ねはんの境地へとおもむかんことを□□す。

あふれる亡霊よ、冥福をいのり法要を営む。
共に涅槃の境地にいたろう。永遠にこの青海原を輝かそう。
明治31年(1898)6月中浦□□□洞雲とううん寺二十世文山が記した

訓読文・註釈

〔1.津波の襲来〕
「嗚(篆額)いたましきかなかいしょう
   大海嘯□□□□碑  てんがく   曹洞宗大本山ちょく性海慈船禅師
れ人の世にるや、あいの最もはなはだしきは、災死より大なる者は無きなり。明治廿九年六月十五日、我が三陸さんりくの大海嘯、古今其のを見ざるさいへんなり。の日、正に陰暦たんに当り、家々団欒だんらんし、うたひ舞ひてらくす。午後八時に至り、とうほうはいし、峨々ががと来襲す。たちまちにして人畜を溺没できぼつし、財産をとうじんせしむ。其の害の及ぶ所、南北はほとんど一百里にわたる。
〔2.越喜来村の惨劇〕
らい村は、中心り。其の被害の町村、波底に沈没すること数しょうりょうひょうできして還らず、空しく海中のり、しゅうてん憾の極まることかくごとし。鳴呼、蒼天そうてんの国民をとがむる、なんぞ夫れむごきかな。そうでん変じて海とり、家屋はこうと為る。るに衣無く、食ふにぞく無し。遺族きゅうごうし、ひょうを相い望む。親子兄弟、おうおう夫妻、忽ち幽冥ゆうめいを異にし、鬼のくことしゅうしゅうとして、千尋せんじんの海底に叫び、たい累々るいるいとして、がんじょうに日としてしかばねを焼かざる無し。みんかんと為り孤独と為る者、旻天びんてんに号泣し、海浜に悲鳴すること数日なるも、くを知らず。其の惨憺さんたんたる、実に言ふべからざるなり。
〔3.横死のやるせなさ〕
勇将もうの、身の千軍万馬の中にたおれ、命をしょうえんだんの間におとす者は、其の死するや、誠に悲しむべしといえども、元よりれ義におもむき国にじゅんずるのにして、不朽の名誉の万世ばんせいに垂れ、其の没すと雖も、没せざる者有り、其の骨つと雖も、朽ちざる者有り。鳴呼、しゃかいの海嘯、其の不測の災ひにたおるるに至るは、戦死の比すべき所に非ざるなり。ああ、誰か父無からんや。誰か子無からんや。父死して之を葬むる子無く、子死して之に哭く父無し。父子・夫婦・兄弟・姉妹、ともめいたおるるなり。今にして之を想へばこん綿々めんめんとして、千歳に尽きざらん。
〔4.生者の救済 亡者の苦悶〕
千万人中に、たまたせいに存する者は、喘々せんせんいちの命をつなぐを。上を奉じては、ゆうあくなる天恩てんおんじんじゅつし、下は万衆のえんを以てし、ぜんなりわいき安堵するを得たり。独り海嘯に死する者に於いては、いずれの日にからくがんに至るを得んや。鳴呼、思ひ去りて思ひきたり、まこと血涙けつるいに堪へず。夫れ薄徳はくとくの人の、天寿を終へて死するすら、尚ほしょうの海に沈淪ちんりんするを免れざるなり。いわんや此のぎゃっきょうの死者に於いてをや。其の煩悶はんもん苦悩、もとよりじんの量り知るべき所に非ざるなり。
〔5.建碑の経緯〕
ここに被害三周のしんひ、越喜来村浦浜うらはま青年共同会員、部落数十戸ざんの男女百弐拾餘名の霊を追悼し、浄財を喜捨し、碑を此の地に建つ。会員及川菊三郎、きたりて文を余に請ふ。おそるらくは其の年月のいよいよ久しければ、こう湮没いんぼつせんとふなり。余、もとめに応じ、梗概こうがいじょす。其のかんするに禅師のてんがくを以てするは、けだ追福ついふく悠遠ゆうえんに伝へんとこいねがへばなり。めいに曰く、
〔6.銘〕
  〇以下押韻ごとに改行。換韻ごとに空白行を挿入。
いたましきかなかいしょう、老いを没しわかきをただよはす。
家屋は流亡し、天地に悲しび叫ぶ。

とう澎湃ほうはいし、地軸をゆらこぼつ。
人畜沈淪ちんりんし、涙世界につ。

ぜんを修さんと欲し、ゆう地をぼくす。
つい碑にし、以てしゅつす。

鬱乎うっこたるぐんれい、福を冥に修す。
共にかくに登り、とこしえ滄溟そうめいを輝かさん。
□□□□明治三十一つちのえいぬ歳六月中浦□□□
        洞雲とううん二十世文山和哺しる

*海嘯 直訳すれば海鳴り。ここでは地震のあとに発生した津波のこと。

*大海嘯□□□□□ 本碑のタイトルと見られるが、判読困難。

*性海慈船禅師 森田悟由(1834~1915)。明治時代の曹洞宗僧。号は大休。明治24年(1891)、永平寺貫主。

*処世 世の中を生きる。

*三陸 およそ宮城・岩手・青森三県に相当する地域。

*団欒 親しい者同士が集まって楽しく語りあい時をすごす。

*和楽 なごやかに楽しむ。

*澎湃 水がみなぎりさかまく。

*峨々 山、岩などが、高く角だってそびえているさま。

*蕩尽 やぶれつきる。

*越喜来村 岩手県気仙郡の村。現大船渡市三陸町越喜来。東は越喜来湾に面し、漁業と製塩業が主な産業だった。

*生霊 生きもの。

*鬼 死者のたましい。亡霊。

*終天 永久に。

*蒼天 青い天。

*桑田変為海 桑田は、桑畑。桑畑が海になるとは、世の変遷の激しいたとえ。

*曠野 広野。ひろびろとした野原。

*叫号 なきさけぶ。

*餓莩相望 餓死した人が道々に見られる。『後漢書』列伝第三十九・仲長統「立望餓殍之満道」に基づく表現と見られる。

*媼翁 老いた女と男。ここでは老母と老父と考えられる。

*幽冥 死後の世界。冥土。

*啾々 ものがなしく泣くさま。

*千尋 谷、海などが非常に深いこと(「尋」は長さの単位)。

*岸上 岸辺。

*鰥寡 妻のない男と、夫のない女。

*旻天 そら。

*硝煙 火薬の発火によって起こる煙。

*這回 このたび。

*斃非命 「非命」の原義は、天の命ずるところでないこと。「斃非命」とは、不慮の災害で天寿を全うせずに死ぬ。

*餘恨綿々 餘恨は、後々までのこるうらみ。綿々は、長く続いて絶えないさま。

*喘々 あえぐさま。

*一縷 一本の糸すじ。

*優渥 ねんごろで手厚い。

*仁恤 あわれんで情をかけること。

*漸次 しだいに。だんだん。

*楽土彼岸 安楽の地というべき、悟りの境地。

*薄徳 積んだ功徳の少ない。

*沈淪生死海 生死を繰り返す六道の迷いの世界に深く沈み込み、解脱することができない。

*逆境 思うようにならない境界。

*忌辰 命日。

*浦浜 越喜来村(「*越喜来村」参照)の一地区。越喜来漁港(小字浪板)あたりの海辺を指す。

*口碑湮没 口碑は、いいつたえ。湮没は、あとかたなく消えてなくなる。

*追福 死者の冥福をいのる仏事。追善。

*惨哉海嘯・・・ 四言詩。韻字、嘯・少・叫(去声十八嘯)、湃・壊・界(去声十卦)、利・地・離(去声四寘)、霊・冥・溟(下平声九青)。

*地軸 大地の意と見られる。

*善利 仏道精進によりもたらされる利益。仏果。

*ト地 場所を選定する。

*鬱乎 さかんなさま。ここでは、亡霊の数のおびただしいさま。

*覚路 悟りへの道。

*滄溟 広く青々とした海。

*洞雲 洞雲寺。越喜来村と同郡内にある田茂山(たもやま)村の曹洞宗寺院(現大船渡市盛町)。

画像

全景 (撮影日:’24/11/21。以下同じ)
碑面
碑面上部・篆額
碑面中部
碑面下部
円満寺 山門
越喜来の海
防潮堤

その他

補足

  • 本碑は判読困難な字が多く、卯花1992を参考としたところが多い。この点を留意して、現代語訳などをお読み下さい。

参考文献

  • 卯花政孝「三陸沿岸の津波石碑」(『津波工学研究報告』9、1992年)241頁。

所在地

嗚呼惨哉海嘯の碑および碑文関連地 地図

所在
円満寺 境内|岩手県大船渡市三陸町越喜来前田

アクセス
三陸鉄道 リアス線 三陸駅 下車
徒歩約15分
円満寺に入り参道左脇にあり

編集履歴

2025年2月24日 公開

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