角倉了以銅像副碑

角倉了以銅像副碑
概  要

江戸初期に河川事業に尽力した角倉すみのくらりょう(1554~1614)の顕彰碑。丹波・山城(現京都府域)を流れるおおがわを疎通したことで舟運が始まり、両国間に経済的利益が生まれた。大正元年(1912)大堰川を望む亀山かめやまの地(現嵐山公園)に、了以会なる顕彰団体が銅像を造立(但し戦時供出され戦後再鋳)。同時に付属物として本碑も設置。同会構成員でもあり京都府知事の大森鍾一による撰文。先に琵琶湖疏水の完成によって京都市街には多大な水利がもたらされていた。没後はるか後代の顕彰は、近代水利事業に先駆的な功績が注目されたため。

資料名 角倉すみのくらりょう銅像ふく
年 代 大正元年(1912)
所 在 嵐山公園亀山地区|京都市右京区嵯峨亀ノ尾町
 北緯35°00’52″ 東経135°40’21”
文化財指定     
資料種別 石碑
碑文類型 歴史的人物顕彰
備 考 資料名は内容に基づく。
ID 0023_2312

目次

翻刻

是贈正五位倉了以翁之像也。同志諸
氏、深欽翁功業、興了以会。欲益顕彰其事、
悲閣所安製坐像、改為立像、以青
銅鋳造。既成、威厳如生。建之於山。亀山
山相対、大堰川劃中間而流。乃翁偉
業之所在、知翁霊格、在此間也。嚮
京都市、欽北垣(国道)府琵琶湖疏水工事、鋳
像、建疏水之、以表其偉業。今与此像
東西相併、永伝功績、可謂双美矣。因記其
事、且係以銘。曰、
 工鬼鑿、 刳壑行舟。 水利偉勲、
 自古少儔。 山高聳、 川長流。
 功徳不竭、 万歳千秋。
大正元年十月十二日
 京都府知事正三位勲一等 大森鍾一

  〇ウラ面に造立関係者の名あり。省略。

現代語訳

これはぞうしょう角倉すみのくら了以翁の像である。翁の功績を深く敬慕する同志諸氏により了以会が発足した。(同会は)その事跡をますます顕彰しようと思い、嵐山だいかく千光寺に安置されている了以の木製坐像を模し立像に改めて青銅で鋳造した。完成すると、近づきがたいほど堂々として立派で、まさに生きているかのようである。これを亀山かめやまに立てた。亀山と嵐山とは向かい合い、(了以翁が水利事業を行った)大堰おおいがわは二山を分けるようにその中間を流れている。つまりこの辺りは翁の成した偉業が見られるところであって、翁の霊が、ほのかに降りてきてただよっていることが知られる(銅像が生きているように感じるのはそのためなのだ)。先に京都市は、琵琶湖すい工事を成した北垣国道京都府知事を敬慕し、銅像を鋳造して疏水のほとりに建てその偉業を顕彰した。今この像と東西あい並んで永く功績を伝えようというのは、二つながら美挙といってよい。そのためこの事をしるし、さらに銘をつなぐ。
  〇以下押韻ごとに改行。
神のごとき巧みさで鬼のようにうがち、渓谷を切りひらいて舟を通す。
この水利事業はまこと優れた功績、いにしえより類もまれなこと。
嵯峨の山々は(相変わらず)高くそびえ、大堰川はとこしえに流れゆく。
(その川や山のように)功績と徳行はつきもせず、万歳千秋に。
大正元年(1912)10月12日
 京都府知事正三位勲一等 大森しょういち

訓読文・註釈

ぞうしょう角倉すみのくら了以翁の像なり。同志諸氏、深く翁の功業をうやまひ、了以会を興す。ますます其のを顕彰せんと欲し、だいかくに安ずる所の木製坐像にのっとり、改めて立像と為し、青銅を以て鋳造す。既に成れば、威厳にして生くるが如し。之を亀山かめやまに建つ。亀山と嵐山と相い対し、大堰おおいがわは中間にかくして流る。乃ち翁の偉業の在る所にして、翁の霊の、あいぜんとして来格らいかくし、此の間に在ると知るなり。さきに京都市、北垣知府の琵琶湖すい工事を欽ひ、銅像を、疏水のみぎわに建て、以て其の偉業を表す。今此の像と東西相いならびて、永く功績を伝ふるは、そうふべし。因りて其の事を記し、くるに銘を以てす。曰く、
神工しんこうさくたにきて舟を行かしむ。水利のくん、古よりたぐい少し。ざん高く聳え、せんせんとこしへに流る。功徳こうとくきず、万歳千秋に。
大正元年十月十二日
 京都府知事正三位勲一等 大森しょういち

*角倉了以 1554~1614。江戸初期の土木事業家。名は光好。京都嵯峨の人。大堰川・富士川・天龍川・高瀬川など諸川の疎通に尽力し舟運を開く。生前、大堰川を見下ろす嵐山に大悲閣千光寺を建てた。綱を座としスキを持った像をつくれと遺言。その像と見られる木造坐像が同寺に伝わる。特異な造形は土木事業にいそしむ姿を象徴的に表現せんがため。

*大悲閣 「*角倉了以」参照。

*木製坐像 「*角倉了以」参照。

*亀山 京都市右京区、保津川(大堰川)渓谷の出口付近の左岸にある山。嵯峨の地を見下ろす。小倉山とも。

*嵐山 京都市西京区、保津川(大堰川)渓谷出口付近の右岸にある山。大悲閣がある。

*僾然 ほのかに。かすかに。

*来格 来りいたること。特に、祭祀などの場に神霊が降りてくること。

*北垣知府琵琶湖疏水工事 北垣国道(1836~1916)京都府知事による、琵琶湖から京都市街に水路を通す工事のこと。第一疏水は明治23年(1890)完工。飲料用水、工業用水、水力発電、舟運に供され、京都の近代化に大きく貢献。功績の顕彰のため、明治35年(1902)疏水のほとりに銅像が造立(現京都市左京区聖護院蓮華蔵町)。戦時に供出され現銅像は再造。

*銅像 「*北垣知府琵琶湖疏水工事」参照。

*湄 みぎわ。水辺。

*神工鬼鑿・・・ 四言詩。韻字、舟・儔・流・秋(下平声十一尤)。

*峨山 嵯峨一帯の山々。

*堰川 大堰川。

画像

全景 (撮影日:’23/12/14)
石碑(同上)
了以銅像(撮影日:’23/09/22)
了以銅像(同上)
銅像再建石標(同上)

その他

補足

  • 嵐山大悲閣千光寺や同寺所蔵の了以坐像・了以顕彰碑についてはこちら
  • 上記のほか本資料に関連する弊研究所作成データは下記の通り:
    • 富士川に立つ角倉了以の顕彰碑「富士水碑」は、こちら
    • 明治時代に建てられた顕彰碑「角倉了以翁水利紀功碑」は、こちら
    • 碑文が言及する北垣国道府知事の銅像とその銘文は、こちら

所在地

角倉了以銅像副碑 および碑文関連地 地図

所在
嵐山公園亀山地区|京都市右京区嵯峨亀ノ尾町

アクセス
京福電鉄嵐山本線 嵐山駅 下車 徒歩
(またはJR嵯峨嵐山駅、阪急嵐山線 嵐山駅)
大堰川(桂川)左岸を上流へ。嵐山公園に入り数分。

編集履歴

2023年12月15日 公開
2024年1月16日 小修正
2024年2月15日 小修正

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