浅間山噴火による横死者の供養塔。浅間山は、信濃・上野両国(長野県・群馬県)にまたがる山。天明3年(1783)に大噴火が起きた。千人規模の死者を出す大災害となり、その灰は江戸にも降り積もった。犠牲亡魂をいたむ僧俗が、江戸両国の浄土宗回向院に毎朝参詣し小銭を積み立てていき、三回忌に本供養塔を建てた。浄土宗の根本的経典で阿弥陀仏を讃嘆する『無量寿経』の一文を刻字し、この仏典複写の功徳を諸亡霊に回向し仏の救済を願う。
資料名 天明浅間山噴火横死諸霊魂供養塔銘
年 代 天明5年(1785)
所 在 回向院|東京都墨田区両国二丁目
北緯35°41’36″ 東経139°47’32”
文化財指定
資料種別 石碑
碑文類型 同時代的事件(災害)
備 考 資料名は碑文内容に基づく。
ID 0033_2403
翻刻
〇正面
時維天明三年癸卯七月七日八日〈信州/上州〉地変横死之諸霊魂等
〇左側面
毎日詰朝、有信道俗輩、来詣此砌者、各擲一銭錙銖、漸積建
基、塔婆而成矣。願以斯福、広及有情、永離生死、成無上道矣。
〇背面
天明五歳次乙巳秋七月 現住謙誉上人敬天代 朝参講中
〇右側面
経曰、 若在三塗勤苦之処、見此光明、皆得休息。
世話人 紙屋喜八
戸沢清七
長崎屋利右衛門
春日屋平助
上総屋新兵衛
実誉浄鏡
大坂屋吉兵衛
三河屋 大誉円□
現代語訳
〇左側面
信仰心の強い僧侶・俗人達が毎日朝早くこの場所に参詣し、各人一銭というわずかなお金を心残りなく差し出した。それは少しずつたまってきて、(塔の)基壇部分ができあがり、(ついで)石塔が完成した。願わくは、(阿弥陀仏について説く『無量寿経』の一文を刻んだことによる)この功徳が、(被災して亡霊となった)人や動物に及び、生死の輪廻から永遠に離れ、この上ない悟りの境地に至らんことを。
〇右側面
経典(『無量寿経』)にいわく「もし、三途の苦しみの世界にあって、この(阿弥陀仏の)光明を見ることができれば、皆憩い休むことができるだろう(そして苦しみはなくなるだろう)」。
訓読文・註釈
〇正面
時に維れ天明三年癸卯七月七日八日信州上州地変横死の諸霊魂等
〇左側面
毎日詰朝、有信道俗の輩、此の砌に来詣すれば、各の一銭の錙銖を擲ち、漸く積もりて基建ち、塔婆而ち成る。願くは斯の福を以て、広く有情に及び、永く生死を離れ、無上道を成さんことを。
〇右側面
経に曰く、若し三塗勤苦の処に在りて、此の光明を見れば、皆休息するを得んと。
*天明三年・・・地変 天明3年の浅間山噴火のこと。
*詰朝 早朝。
*有信 仏を信ずる心のあつい者。
*来詣 来ることを丁重にいう語。
*此砌 この場所。つまり回向院。
*錙銖 わずか。
*無上道 最高至上の悟り。
*経曰・・・ 『無量寿経(むりょうじゅきょう)』巻上からの引用。同経は、浄土宗の根本的経典。上巻では浄土の荘厳などを説く。引用部分では、阿弥陀仏の放つ光明のすばらしさを述べている。
*三塗 死者が行くべき三つの場所。猛火に焼かれる火途(かず)、互いに食い合う血途(けつず)、刀剣・杖で強迫される刀途(とうず)の3つ。三途とも。
*勤苦 身をいためつけられる苦しみに耐えること。
画像
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その他
補足
参考文献
- 特になし。
所在地
天明浅間山噴火横死諸霊魂供養塔銘 地図
所在:
回向院|東京都墨田区両国二丁目
アクセス:
JR総武線・都営大江戸線 両国駅 下車 徒歩数分
回向院境内に入り本堂横にあり
編集履歴
2024年3月5日 公開
2024年3月16日 小修正