
天明年間(1781~89)に起こった諸災害の犠牲亡霊を供養するための石塔。四角柱の頂点には蓮を設け、正面には南無阿弥陀仏と大書し、他三面に造立由来等を刻む。このころ、浅間山の大噴火をかわきりに、関東・奥羽地方の大飢饉、江戸の大火、関東の洪水、京都の大火と、大災害が相次いだ。横死した人間・畜生の亡霊の怨恨を鎮めるため、同8年、幕府は浄土宗諸名刹に法会(施餓鬼会)を命じた。本石塔が立つ回向院もその一寺。翌寛政元年の法会における祭文、すなわち亡霊を哀悼・招魂して飲食をささげ供養の誠意を表明する宣言文がそのまま刻まれている。祭文は長文の韻文で、約7年の災難を詩的に述べる。浅間山噴火に特に重きが置かれ、噴火がいかに恐ろしく、いかに自然と人畜を滅ぼすかを記す。撰者は実際に被災したか、現地や生存者を取材したのか、韻文ながらも散文のごとき具体性を有し、同時に文学としての価値は少しも失っておらず、読む者に強い恐怖と深い哀悼の心を起こす。非業の死者、殊に小民に対する撰者自身の偽りない哀れみは、文章各所から感じられる。
法会開催と同じ年に造立。祭文は本来法会の場限りのものだが、高い石塔に大字で刻んで残されたのも、法会臨席の人々の心を強く動かしたからだろうか。全体として、悲しい過去を顧みるとともに、鎮魂によって、新年号寛政における明るい未来の期待も読み取ることができる。
資料名 天明年中大災横死諸霊供養塔銘
年 代 寛政元年(1789)
所 在 回向院|東京都墨田区両国二丁目
北緯35°41’36″ 東経139°47’32”
文化財指定
資料種別 石塔の銘文
銘文類型 同時代的事件(災害)
備 考 資料名は内容に基づく。
ID 0034_2403
翻刻
〇正面
南無阿弥陁仏
〇左側面
天明八歳竜次戊申臘念九日、
県官令大常亀山侯、下 台命於増上寺。其 教曰、京師・東都及奥羽・上毛名刹六処、各当
修無遮仏事、廻向横死荒霊、且以祈大稔矣。於是、錫白銀若干於各寺、以為法要貲。東都本
庄廻向院、其一也。凡起寛政改元二月十一日、迄十三日、謹就道場、勤修施食法会、及別時
念仏。東都大小寺院、咸皆雲集、以助法会。法会既竣、虔磨青石、以勒祭文、永垂将来。祭文曰、
〇背面
嗚呼哀哉、先此七年。信州之陽、浅間嶽巓。大火震発、爡焥熚天。熇熇燡燡、石砕壌然。飛煡散
□、焚屋連綿。燔傷羸老、炭死嬋娟。竜蛇黿鼈、牛馬烏鳶。于飛于走、乃倒乃顛。復其東麓、上野
之𡷡(※)。河島・北牧、靠吾妻川。断岩数里、崖崩岸騫。沸湯熱濘、澎濞廻旋。瓜果菜蔬、蒹葭蒲蓮。猫
鼠鷄犬、鰼鰌鰋鱣。蔕落根離、肉爛臭羶。横流刀祢、壅瀬塡淵。此歳仲秋、陰気先天。凄風速至、
霖雨仍濺。関東之境、禾稷萎衰。百穀不登、衆庶就飢。鋤叢尋葛、隔家易児。餓莩充野、痛愬溢
岐。比年相襲、奥羽失時。瘴疾侵重、道路連屍。丙午之季、禘移嘗随。回禄前駆、玄冥後馳。焚煬
〇右側面
赫烈、泱瀼渺瀰。民人惨悴、神祇傷悲。戊申之春、災在京師。延焼 王屋、都靡孑遺。如何祝融、
殲此黔黎。頻年之禍、聚合于斯。父子蕩泯、親族散離。遊魂落魄、断祭絶祀。悽愴髣髴、為鬼為
厲。伏以茲越、 大君文思。深悼幽物、大賜 恩施。頼僧奉 仏、準軌䢖斎。霊喜来享、我跪陳
辞。薦以菜蔬、福以毗尼。作為功徳、増進法資。斉出五道、普遊八池。寛政元年己酉秋七月
廻向院住持在誉巌竜建 青山梅窓蘭若性山撰 赤峰田順書
※「絹」の「糸」を「山」に変えた漢字。
現代語訳
〔1.天明諸災害の亡霊供養〕
天明8年(1788)12月29日、幕府は、寺社奉行で丹波亀山藩主松平信通に命じ、将軍のご命令を増上寺に下達した。京都・江戸および奥羽・上野の名刹6寺に対するその命令の内容は、(どんな亡霊に対しても)平等無差別の仏事を行って、非業の死を遂げた荒魂に回向し、さらに豊作を祈れというものだった。そこで、白銀若干を各寺に賜わって法会の費用に充てさせた。江戸本所の回向院はその一寺である。総じて寛政元年(1789)2月11日より13日に至るまで、施餓鬼の法会および別時念仏を道場において謹んでおつとめした。江戸の大小寺院はみな雲のごとく多数参集し、法会遂行を補助した。
〔2.造立の経緯〕
やがて法会がおわると、謹んで青石を研磨して(施餓鬼会の)祭文を刻み、永遠に将来に残し伝える。祭文は以下の通り。
〔3.浅間山の噴火 -祭文 1-〕
〇以下の韻文は押韻ごとに改行。
ああ悲しいことかな、今をさかのぼること7年(天明3年=1783年)。
信濃のくに、浅間山のいただき。
震動とともに大火おこり、火煙りは天を焼きつくす。
炎々と燃え、岩は砕かれ大地は焼かれる。
岡に火の粉散り降り、絶える間もなく家を焚く。
弱り衰えた老人は焼き損なわれ、なまめく美しき女体も炭の亡骸。
竜や蛇、亀や鼈、牛や馬、烏や鳶。
ここに飛びかしこに走り、あるいは倒れ伏しあるいは転がり落ちる。
さらにまた東の山すそ、上野の山くま。
河島村と北牧村は、吾妻川によりかかる。
数里も続く危巌、その崖を崩しその河岸を損なう。
沸き立った湯のごとき熱い泥状の溶岩は、みなぎり、わきたち、くるくると回り流れる。
野菜や木の実、荻や葦や蒲や蓮。
猫も鼠も犬も鶏も、鯉も鯰も泥鰌も。
その蔕は地に落ち根は離れ、その肉はやかれて腐ってなまぐさい。
勝手きままに利根川へと流れ込み、瀬をうずめ淵をふさぐ。
〔4.関東・奥羽の飢饉 -祭文 2-〕
この年の中秋、天意に先走って生じた寒気。
すさまじい寒風は早くも到来し、ざあざあと長雨が降りしきる。
関東の地は、イネもキビも萎え衰える。
諸々の穀物はみのらず、庶民はどんどん飢えていく。
草むらを鋤き返しては葛をさがし、他家を訪ねては我が子を売り渡す。
餓死者は大地に充満し、物乞いの痛ましい訴えが辻々にあふれる。
年々相い次いで、(今度は)奥羽地方が天候不順に。
疫病がどんどん入り込み、道々につらなる屍。
〔5.江戸の大火 関東の洪水 -祭文 3-〕
天明6(1786)の年、(疫病退散などを神に願う)夏祭りが順延し(収穫を神に報謝する)秋祭りも同じようになった。
まず火の神回禄が駆け巡り、次いで水の神玄冥が馳せ巡る。
(この世を)やきとろかすように激しく燃やし、あふれんばかりに水を流して水面はるかに広がる。
人民は悲しみ悩み、神々は心を傷ませる。
〔6.京都の大火 -祭文 4-〕
天明8年(1788)の春、京都に火災あり。
燃え広がって王宮を焼き、あとかたも残らず。
火の神祝融をばどうすればよいのだろう、人々を焼き滅ぼしてしまって。
〔7.亡霊への追善 -祭文 5-〕
連年の出来事により(これから起きうる)災難の因縁は、今ここに合わさったのだ。
父子ともにいなくなり、親族は離散。
(死んで)この世を去らんとする霊魂は(供養されることもなく)おちぶれていき、(今後の)祭祀もできなくなってしまった。
(彼ら亡霊の)ひどく悲しむさまはありありと眼前に見えるようだし、たたりをなす悪鬼となってしまったであろう。
今ここに伏して思う、大君(将軍)の大いなる思し召しを。
(将軍は)亡霊を深く悼み、大いにお施しを与えたまう。
僧侶を頼み仏教を戴き、規則に拠りながら飲食を分かちあたえる。
亡霊よ、喜んで来り享けたまえ。跪き謹んで私は(あなた方亡霊に)言葉を述べるのである。
野菜をおそなえし、(さらに)戒を授けその恵みもたてまつる。
(受戒によって)功徳を創出し、(施餓鬼会による功徳に)加えて解脱のための糧としてお渡しする。
五道の迷いの世界からみな等しく解脱し、(極楽浄土にあるという)八功徳水にみちた池にあまねく遊ばんことを。
寛政元年(1789)秋7月
訓読文・註釈
〔1.天明諸災害の亡霊供養〕
天明八歳竜次戊申臘念九日、県官、大常亀山侯に令し、台命を増上寺に下さしむ。其の教に曰く、京師・東都及び奥羽・上毛の名刹六処、各の当に無遮仏事を修し、横死荒霊に廻向し、且つ以て大稔を祈るべしと。是に於いて、白銀若干を各寺に錫ひ、以て法要の貲と為す。東都本庄廻向院、其の一なり。凡そ寛政改元二月十一日に起し十三日に迄るまで、謹みて道場に就き施食法会及び別時念仏を勤修す。東都大小寺院、咸皆雲集し、以て法会を助く。
*竜次戊申 竜は、歳星(さいせい)。歳星は木星のことで、中国上代では木星の黄道上の位置によりその年の名をきめたところからいう。次は、やどる。「歳次戊申」というのと同意。
*県官 原義は、天子または朝廷。ここでは幕府のこと。
*大常亀山侯 大常は、令制において神祇官および、その長官である伯(かみ)の唐名。ここでは、幕府の役職の寺社奉行のこと。亀山侯は、丹波亀山藩の藩主。該当するのは、松平信道(のぶみち、1762~91)。
*台命 将軍の命令。
*増上寺 現東京都港区芝公園にある寺院。浄土宗の大本山。徳川家康の江戸入府と同時に師檀関係ができ、徳川家の菩提所として興隆。やがて京都・知恩院と肩を並べ、実力は浄土宗第一になった。
*京師・東都及奥羽・上毛名刹六処 京師は、京都。東都は、江戸。奥羽は、陸奥(むつ)と出羽(でわ)の両国で、現在の青森・岩手・宮城・福島・秋田・山形の6県にわたる。上毛は、上野のこと。名刹六処は、京都の知恩院、上野新田の大光院、陸奥岩城の専称寺、出羽庄内の大督寺、葛西小松川の仲台院、江戸本所(本庄)の回向院(「御老中渡御書付留」)。
*無遮仏事 無遮は、制限や差別のない。不慮に死んだ人間だけでなく、他の生物に対しても供養する仏事ということ。
*横死荒霊 横死は、不慮の死。非業の死。荒霊は、非業の死を遂げ無念の心を抱き物事に対して激しく活動する神霊。
*大稔 豊作。
*法要貲 法会のための費用。
*本庄廻向院 江戸本庄(ほんじょ、本所)の回向院のこと(現在寺近辺は両国と呼ばれる)。明暦江戸大火(1657年)での焼死者を葬り回向したことが機縁となって創建された寺院。浄土宗。
*施食法会 施餓鬼会(せがきえ)のこと。餓鬼道に落ちて飢えに苦しむ亡者(餓鬼)や無縁亡者に飲食物を施し、読経して供養すること。
*別時念仏 日時を限って行う念仏。
〔2.造立の経緯〕
法会既に竣り、虔みて青石を磨き、以て祭文を勒み、永く将来に垂る。祭文に曰く、
*祭文 死者の哀悼や、邪鬼の駆逐、雨乞いなどのために祭のときに読み上げる文。本銘文の場合、内容からいって「施食法会」(施餓鬼会)の祭文で、「別時念仏」とは関係がない。死者哀悼が主目的であり、亡霊を招魂して供養しようとしている。
〔3.浅間山の噴火 -祭文 1-〕
〇以下の韻文は押韻ごとに改行。
嗚呼哀しきかな、此に先んずること七年。
信州の陽、浅間の嶽巓。
大火震発し、爡焥として天を熚す。
熇熇燡燡として、石は砕け壌は然ゆ。
飛煡塙に散り、屋を焚くこと連綿たり。
羸老を燔き傷ひ、嬋娟炭死す。
竜蛇黿鼈、牛馬烏鳶。
于に飛び于に走り、乃ち倒れ乃ち顛る。
復た其の東麓、上野の𡷡。
河島・北牧、吾妻川に靠る。
断岩数里、崖は崩れ岸は騫く。
沸湯熱濘、澎濞として廻旋す。
瓜果菜蔬、蒹葭蒲蓮。
猫鼠鷄犬、鰼鰌鰋鱣。
蔕は落ち根は離れ、肉は爛りて臭羶たり。
横に刀祢に流れ、瀬を壅ぎ淵を塡ぐ。
*嗚呼哀哉・・・ 以下「普遊八池」まで祭文の内容。四言詩の韻文で、全84句。偶数句末で押韻。韻字、年・巓・天・然・綿・娟・鳶・顛・𡷡・川・騫・旋・蓮・鱣・羶・淵・天・濺(下平声一先)、衰・飢・児・岐・時・屍・随・馳・瀰・悲・師・遺・黎・斯・離・祀・思・施・斎・辞・尼・資・池(上平声四支)。ただし第70句「為鬼為厲」も末字で押韻すると考えられるが、「厲」の韻が上平声四支であるか未詳。しばらく偶数句押韻として訓読・現代語訳を試みた。
*陽 旧国名の後に美称として付けて用いる語。
*浅間嶽巓 浅間は、浅間山。同山は、長野・群馬両県にまたがるが、近代以前は信濃国の山という認識が一般的だったと思われる。嶽巓は、山頂。
*大火震発、爡焥熚天 大噴火を表現した二句。震発は、震動して起こること。爡焥は、煙火が立ち昇るさま。熚は、燃える。
*熇熇燡燡 熇熇も燡燡も、火の盛んなさま。
*壌然 壌は、つち。大地と訳した。然は、燃える。刻文の字形「㸐」は、「然」の古体。
*飛煡 煡は、消え残りのほのお。飛煡とは、火の粉と考えられる。
*塙 小高い所。
*羸老 弱りおとろえた老人。
*炭死嬋娟 嬋娟は、容姿があでやかで美しいこと。ここでは、そのような女性と解釈した。炭死とは、燃やしつくされ炭のようになって亡くなったとの意と思われる。
*黿鼈 黿は、大きなかめ。鼈は、すっぽん。たとえ水中に生息し、甲羅があって守りが固い生物でも、噴火には生き残れなかった例としてこの語を用いる。
*烏鳶 烏も鳶(とんび)も平凡な鳥。たとえ空を飛ぶ鳥でも噴火には生き残れなかった例としてこの語を用いる。
*𡷡 山のくま。山の入りくんだ所。
*河島・北牧 河島は、川島村。現群馬県渋川市川島。吾妻川右岸。北牧は、北牧村(宿)。現群馬県渋川市北牧。同川の左岸で、川島村の東。三国街道の宿場として栄えた。
*吾妻川 群馬県中西部を流れる川。長野との県境に源を発し、東流して渋川市で利根川に合流する。
*断岩 断ち切ったように高くそびえ立つ岩。
*騫 欠けてそこなう。
*熱濘 濘は、どろ。熱濘とは、どろどろの溶岩流のこと。
*澎濞廻旋 澎濞は、水がわき立つさま。廻旋は、旋回。くるくる回ること。
*瓜果菜蔬、蒹葭蒲蓮 瓜果は、果実の総称。菜蔬は、野菜。あおもの。蒹葭は、オギとアシ。蒲蓮は、ガマとハス。前句は畑地の、後句は川辺の植物を記す。どこの植物も噴火の被害を受けたと撰者は言おうとしている。
*猫鼠鷄犬、鰼鰌鰋鱣 猫鼠は、各々敵対する動物。鷄犬は、ともに家飼いの動物。『老子』(独立第八十)に「隣国相望、鶏狗之声相聞」とあるように、村里が家つづきになっている様子を想起させる。鰼鰌は、両字ともドジョウ。鰋は、ナマズ。鱣は、コイ。後句は、すべて川や淡水の魚類。
*蔕落根離、肉爛臭羶 蔕は、植物のヘタ。爛の意味は、(1)火が通る、(2)くさるの2通りの可能性があるが、両様の意味にとっておく。羶は、なまぐさい。
*横流刀祢、壅瀬塡淵 横は、勝手気ままに。刀祢は、利根川。東南流する吾妻川は、北牧村(宿)のさらに南で利根川に流れ合わさる。壅も塡も、ふさぎせきとめるの意。ここで利根川に流れ込んできたのは、直前の句で述べる動植物のほか、溶岩・火砕流等のため常流を逸した吾妻川の泥流や、流失家屋も含まれるだろう。
〔4.関東・奥羽の飢饉 -祭文 2-〕
此の歳仲秋、陰気天に先んず。
凄風速かに至り、霖雨仍に濺たり。
関東の境、禾稷萎え衰ふ。
百穀登らず、衆庶飢ゑに就く。
叢を鋤きて葛を尋ね、家を隔てて児を易ふ。
餓莩野に充ち、痛愬岐に溢る。
比年相い襲ひ、奥羽時を失ふ。
瘴疾侵し重なり、道路屍を連ぬ。
*陰気先天 陰気は、寒気を指すと見られる。本来寒気は冬の時期に起こるが、天の意思に違い先走って秋に来てしまった。
*凄風 すさまじい風。
*霖雨 ながあめ。
*濺 水がざあざあ流れるさま。
*境 ところ。場所。
*禾稷 イネとキビ。
*葛 山野に自生するつる草。根を加工してできる葛粉(くずこ)は救荒食料として用いられた。
*餓莩 餓死した人。
*痛愬溢岐 痛愬は、痛ましい訴え。ここでは飢饉で困窮した人の物乞いを指すと見られる。岐は、分かれ道。辻。
*比年 としどし。
*失時 天候不順のこと。
*瘴疾 疫病を指すと見られる。
〔5.江戸の大火 関東の洪水 -祭文 3-〕
丙午の季、禘移り嘗随ふ。
回禄前に駆け、玄冥後ろに馳す。
焚煬赫烈し、泱瀼として渺瀰たり。
民人惨悴し、神祇傷悲す。
*禘移嘗随 解釈難。禘は夏祭り、嘗は秋祭りの意と見られる。全体として神祇祭祀の不順を述べていると思われる。
*回禄前駆、玄冥後馳 回禄は、火の神の名。玄冥は、冬の神と水の神の2つの可能性があるが、後者をとる。この年(天明6年)の災害をみると、正月に江戸で大火があり、7月に江戸とその近国に大雨洪水の大被害があった。
*焚煬赫烈、泱瀼渺瀰 焚煬は、焼きとかす。赫烈は、激しく赤く燃える。泱瀼は、水の流れるさま。渺瀰は、水がはるかにひろがるさま。前句は江戸の大火を、後句は江戸と近国の大雨洪水を指す(「*回禄前駆、玄冥後馳」参照)。
*惨悴 悲しみいたむ。
〔6.京都の大火 -祭文 4-〕
戊申の春、災ひ京師に在り。
延びて王屋を焼き、都て孑遺靡し。
如何せん祝融の、此の黔黎を殲ぼすを。
*災在京師 御所を含め、京都の大半を焼き尽くした天明の大火のこと。
*王屋 王宮。京都御所のこと。
*孑遺 わずかに残っているもの。
*祝融 中国で、火をつかさどる神。
*黔黎 人民。なお黎の一般的な音はレイ。その反切の一つは「隣溪切」で、韻は上平声八斉。だが前後句と押韻しない。黎には、別の音韻「良脂切」があり、その韻は上平声四支で、前後句と押韻する。これを踏まえ、黔黎は「ケンレイ」でなく「ケンリ」と訓んでおく。
〔7.亡霊への追善 -祭文 5-〕
頻年の禍ひ、斯に聚合す。
父子蕩泯し、親族散離す。
遊魂落魄し、祭を断じ祀を絶す。
悽愴髣髴として、鬼と為り厲と為る。
伏して以へらく茲越に、大君の文思ありと。
深く幽物を悼み、大いに恩施を賜ふ。
僧を頼み仏を奉じ、軌に準へて斎を䢖す。
霊よ喜びて来り享けよ、我跪きて辞を陳ぶ。
薦むるに菜蔬を以てし、福するに毗尼を以てす。
功徳を作為し、増して法資に進めん。
斉しく五道を出で、普く八池に遊ばんことを。
寛政元年己酉秋七月 廻向院住持在誉巌竜建つ 青山梅窓蘭若性山撰す 赤峰田順書す
*頻年之禍、聚合于斯 解釈やや難。まず頻年は、このところ毎年。禍は、わざわい。聚合は、集合に同じ。次句以降を参考とすると、二句は「連年の災害によって祭祀や供養されない悪霊が充満し、彼らが災いを起こす条件は満たされた」と解釈した。
*蕩泯 全くなくなったとの意と見られる。
*遊魂落魄 遊魂は、この世から去って行くたましい。落魄は、おちぶれる。零落する。
*悽愴髣髴、為鬼為厲 悽愴は、ひどく悲しむさま。髣髴は、ありありと眼前に見えること。鬼(き)は、亡霊。厲は、たたりをする悪鬼。
*大君文思 大君は、幕府将軍徳川家斉のこと。文思は、大いなる思い。立派な考え。この仏事を開催させたことを称賛して「文思」といっている。
*䢖斎 䢖は、分けひろめること。斎(とき)は、法事に出す食事。つまりこの施餓鬼会で亡霊にささげる飲食物。
*福以毗尼 福は、追福(ついふく)の福。仏教的な善事を営み供養すること。毗尼は、戒。施餓鬼会に加えて、亡霊に対し僧侶が戒を授けるというわけである。
*作為功徳、増進法資 この功徳は、受戒により積まれた功徳。法資は、法資糧のことと思われる。善法によって得られた、仏道修行のかてとなる善根功徳のこと。
*五道 衆生が善悪の業因によっておもむく5種の世界。地獄・餓鬼・畜生・人間・天上の5つ。六道から修羅道を抜いたもの。
*八池 阿弥陀仏の極楽浄土にある八功徳水(はっくどくすい)をたたえた池を指すと見られる(『無量寿経』巻上に記述)。八功徳水とは、甘く、冷たく、清浄で、心身を養う8つの功徳を持つといわれる水。要するに撰者は、亡霊が極楽浄土へ往生することを願うわけだが、噴火や火事、飢饉での落命者が多いことをかんがみ、浄土のうちでも池を採り上げたと考えられる(押韻の都合でもある)。
*青山梅窓蘭若 蘭若は、寺。長青山梅窓院のこと。現東京都港区南青山二丁目に所在。浄土宗。
*赤峰田順 脇田赤峰(わきたせきほう、?~1808)。江戸時代中期~後期の書家。名は順。
画像









その他
補足
- 本銘文が言及する災害等を時系列に列記する:
- 天明3年(1783)7月 浅間山噴火。〔3〕
- 天明3年(1783)秋以降 関東・奥羽に飢饉。〔4〕
- 天明6年(1786)1月 江戸に大火。〔5〕
- 天明6年(1786)7月 江戸・関東に大雨・洪水。〔5〕
- 天明8年(1788)1月 京都に大火。〔6〕
- 天明8年(1788)12月 幕府、回向院等に仏事開催を命じる。〔1〕
- 寛政元年(1789)2月 回向院、施餓鬼等法会を修する。〔1〕〔7〕
- 寛政元年(1789)7月 本石塔を造立。〔7〕
- 本資料は、すでに『回向院由来記』『東京地誌史料 葛西志』に収載されている(後者は読点付き)。
- 本資料に関係する石碑類は下記の通り:
- 写真撮影をする際、亡魂に対し敬意をもって行った。
参考文献
- 「御老中渡御書付留 仁」天明8年12月御書付(国立公文書館所蔵「御老中渡御書付留」15冊中第1冊、請求番号180-0093)。
- 『回向院由来記』(回向院、1937年)87~8頁。
- 『東京地誌史料 葛西志』(国書刊行会、1971年)279~80頁。
- 『康煕字典』火部十九画「爡」の項(『康煕字典』(吉川弘文館、1909年)679頁)、火部八画「焥」(663頁)、火部十三画「燡」(675頁)、火部九画「煡」(667頁)、山部七画「𡷡」(265頁)、黍部三画「黎」(1600頁)、示部三画「祀」(848頁)、辵部六画「䢖」(1311頁)。
所在地
天明年中大災横死諸霊供養塔銘 地図
所在:
回向院|東京都墨田区両国二丁目
アクセス:
JR総武線・都営大江戸線 両国駅 下車 徒歩数分
回向院境内に入り本堂横にあり
編集履歴
2024年3月16日 公開
2024年4月10日 小修正
2025年1月10日 小修正
