大震罹災者紀念碑  -美濃紙商人の善意-

大震罹災者紀念碑
概  要

明治24年(1891)に起きたのう地震の記念碑。岐阜県山県やまがた郡の高富たかとみ村(現山県市)における被害状況と、不慮の死者87人を列記する。一周忌に当たる時に大阪の商人・西田氏のえんで碑が建てられ、かつ追善ついぜん法要がなされた。被災事実と犠牲者を石碑で明示することで、後代の人々が惨状を忘れず追善法要を継続していくことが望まれていると考えられる。なお西田氏は村の人ではなく、親戚の訪問に際したまたま被災した。他資料をみると彼はがみかみ卸問屋おろしどんやであることがわかる。商品買い付けの往来途上で偶然にも被災し、現地の惨劇を目撃して亡魂供養の気持ちが止みがたく興ったものか。

資料名 大震さい者紀念碑
年 代 明治25年(1892)
所 在 大龍寺|岐阜県岐阜市粟野
 北緯35°29’25″ 東経136°47’11”
文化財指定     
資料種別 石碑
碑文類型 同時代的事件(災害)
備 考 資料名は篆額による。
ID 0046_2407

目次

翻刻

「大(篆額)震罹災者紀念碑」
明治廿四年十月念八暁(ママ)、地大震。本郡高富(岐阜県山県郡)落圧死八十七員。西田氏者、大坂人、訪親戚際、
適値此変動。大義、建碑勒姓名、以遺永遠、更設弔法筵。乃是廿五年十月下旬也。銘曰、
 残害、 太極惨然。 西氏発志、 勒石遠伝。 勇不請、 慈及縁。 施薦福、 菩提円。
位次序(罹災者姓名省略)
        美濃国山県郡山県邨智寺住衲承天撰篆額併書
        大阪府東区南久太郎町住商西田松三郎貲建碑

            周旋人 天王 (人名三名省略)

            石工
             原好勝鑿

現代語訳

大震さい者紀念碑
明治24年(1891)10月28日早朝、大地が激しく震動した。本郡(岐阜県山県郡)高富たかとみ村で圧死した者は87人。大阪の人で西田氏という者がある。通りすがりに親戚の家に寄った際、偶然にもこの大地変に遭遇した。義勇の行い、すなわち心を奮い立たせ(亡魂追善という)道に叶った行いをしようと考え、(記録を)永久に残すべく(犠牲者の)姓名を刻んだ石碑を建て、さらに追善の法要を催した。これは、明治25年10月下旬のことである。めいは以下の通り。
  〇以下押韻ごとに改行。
地震に傷つき殺され、惨めなことこの上ない。
西田氏には志すところがあり、石に刻んで遠い未来に伝えようとする。
(このような)義勇の行いを(我々は)求めたわけではないし、彼の慈しみの心は、訪う親族のいない亡魂にも及ぶのだ。
読経の追善法要を行い功徳を(亡魂に)回向する。(亡魂は)迷いの世界を離れたちどころに悟りの境地に至るであろう。

訓読文・註釈

大震さい者紀念碑
明治廿四年十月にじゅう八暁、地大いに震ふ。本郡高富たかとみ村落の圧死するもの八十七員。西田氏なる者は、大坂の人にして、親戚をほうするのさいたまたま此の変動にふ。義勇を大にし、碑を建て姓名をきざみ、以て永遠に遺し、更についちょうほうえんもうく。すなわれ廿五年十月下旬なり。銘に曰く、
  〇以下押韻ごとに改行。
残害ざんがいはなはきわまりてさんぜんたり。
西にしこころざしを発し、石に勒んで遠くに伝ふ。
義勇はざるに、いつくしみはえんにも及ぶ。
ほうして福をすすめ、菩提ぼだいとんえんならん。
じょならず(罹災者姓名省略)
        美濃国山県郡山県邨たいじゅうのう承天、撰・篆額てんがくならびに書
        大阪府東区南久太郎町住商西田松三郎、えんして碑を建つ

*本郡高富 岐阜県山県郡の高富村(現山県市高富)。現在本碑が立つ大龍寺は、当時の同村の領域に隣接する。

*西田氏 下記補足参照。

*過訪 通りすがりに、人の家を訪問すること。なお、下記補足参照。

*勇義 勇は、こころが奮い立つこと。義は、物事の道理にかなっていること。ここでは、地震で不慮に亡くなった亡魂を供養すること。

*追弔法筵 追善法要。

*震残害・・・ 四言詩。韻字、然・伝・縁・円(下平声一先)。

*義勇 勇義と同じ。「*勇義」参照。

*無縁 弔う親族のない死者。身元不明の死者。

*法施薦福 法施は、ここでは追善のための読経の意と見られる。薦福は、追善法要によって得られた福徳を犠牲亡魂にたてまつりその菩提に資すること。

*頓円 円頓。押韻の必要上、転置させた。たちどころに悟りに至ること。

*不序 順序だっていない。

*大智寺住衲 大智寺は、臨済宗妙心寺派の寺院(現岐阜県岐阜市山県北野)。高富村と同郡内の山県村に所在(当時)。住衲は、その寺に住している禅僧。

*捐貲 私財を投げ打つ。

画像

全景 (最左。撮影日:’24/06/07。以下同じ)
全景
碑面
碑面 下部
碑面 上部
大龍寺 入口脇の石碑群
大龍寺 入口

その他

補足

  • 「西田松三郎」について:
    追善法要や建碑に義捐した西田氏は、当時「美濃国産」和紙などの「紙卸問屋」を大阪で営んでいたことが『大阪商工亀鑑』(1892年)から知られる。当時の状況を推測すると、長良川やその支流の美濃紙生産地域への買い付けの往来途上で、高富村の親戚宅に寄ったときに被災したと思われる。なお同書は、「世ニ信用有」る大阪の商工業者のみを精査して列挙したもの。

参考文献

  • 中島邦太郎『大阪商工亀鑑』(愛々館、1892年)96頁。

所在地

大震罹災者紀念碑および碑文関連地 地図

所在
大龍寺|岐阜県岐阜市粟野

アクセス
自動車で行くのが無難。
境内入口に入りすぐ左手。

編集履歴

2024年7月1日 公開

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