

宮城県の大島における地震・津波の記念碑。三陸地方では、明治29年(1896)と昭和8年(1933)の両度にわたり大地震と大津波の被害があった。本碑では、当地における被災状況と、大島村長自作・自筆の漢詩を刻む。交付された義援金の内、余った分を用いて昭和9年に建碑。
資料名 震嘯記念の碑
年 代 昭和9年(1934)
所 在 公道脇|宮城県気仙沼市横沼
北緯38°50’18″ 東経141°37’11”
文化財指定
資料種別 石碑
碑文類型 同時代的事件(災害)
備 考 資料名は篆額による。
ID 0064_2507
翻刻
「震嘯記念」
大地しん、それつなみ
時変襲来侵我村、海湾一望□銷魂。
喜悲異感唯同涙、昨泣嘯災今聖恩。
震嘯日時 昭和八年三月三日午前二時三十分 明治二十九年六月十五日午後七時三十分
人畜被害 死者無 岩手県出稼二名死 死者六十一人 内男二二女三九
家屋 流失三、潰破四 流失十七 潰破六 付属屋流五一潰一三
宅地 □百七十八坪 十九町
田圃 十四町歩 一町六反歩
船舶 大小百二十艘 大小五十一艘
損害高 金三万五千余円 金一万五千八百円
救済及慰問金 一万一千八百九十七円 金二千四百六十七円
朝日新聞社寄託金二十余万円ヲ罹災町村ニ分配シ、尚残額ノ交附ヲ受ケタルヲ碑費ニ当テヽ、之ヲ建ツ。
昭和九年六月十日 大島村長 菅原熊治郎 謹□
同村石工 野口 義雄 謹刻
現代語訳
地震・津波の記念(の石碑)
(中略)
〇句ごとに改行。
ほんのわずかの間に(海は)急変し、(津波が)襲来して我が村を侵す。
海辺を一望すればまことに驚くほかはない。
喜ぶか悲しむか各々の感情は異なっているけれど、涙を流すことだけは皆同じ。
つい昨日には津波被害に泣き崩れ、今日は天皇のありがたいお恵みに(泣き暮らす)。
(中略)
昭和9年(1934)6月10日
訓読文・註釈
震嘯記念
(中略)
〇句ごとに改行。
時に変じて襲来し我が村を侵し、
海湾を一望すれば頗る魂を銷す。
喜悲 感を異にするも唯だ涙のみ同じうす。
昨には嘯災に泣き今は聖恩。
(中略)
昭和九年六月十日
*震嘯 大地震とそれに伴い発生した津波。「嘯」は、「海嘯」(津波)。
*時変襲来・・・ 七言絶句。韻字、村・魂・恩(上平声十三元)。
*時変 解釈やや難。一時に自然が変貌するの意と見られる。
*我村 宮城県本吉郡大島村(現気仙沼市)。
*銷魂 消魂。すっかり驚いてしまう。
*聖恩 天皇の恩恵。ここでは復興のための寄付金や慰問などを指す。
画像





その他
補足
- 本碑文はすでに『気仙沼市史』に翻刻されている。難読字の判読の参考にしたところがある。
参考文献
- 『気仙沼市史 八 資料編』(気仙沼市、1995年)561頁。
所在地
震嘯記念の碑 地図
所在:
公道脇|宮城県気仙沼市横沼
アクセス:
JR 大船渡線 気仙沼駅 下車
市民バス大島線に乗り換え 竜舞崎入口 下車
徒歩約1分
公道脇にあり
編集履歴
2025年7月18日 公開
2025年9月12日 小修正
