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大震罹災者紀念碑 -美濃紙商人の善意-
概 要 明治24年(1891)に起きた濃であることがわかる。商品買い付けの往来途上で偶然にも被災し、現地の惨劇を目撃して亡魂供養の気持ちが止みがたく興ったものか。... -
金粟山震災碑 -大伽藍 今と昔-
概 要 明治24年(1891)に美濃・尾張地方に甚大な被害を及ぼした濃仏事に伴って造立されたと考えられる。建碑の目的はおよそ3点。(1)大震災の記憶を風化させない... -
紀救葘功碑 -大地震と村人-
概 要 明治24年(1891)に岐阜・愛知方面を襲った濃村(現可児市)の神社に立つ。地震直後のすさまじさを始めとして、家屋倒壊による村人の犠牲や、水不足など事後の... -
震災紀念碑 - 感泣のあまり -
概 要 明治24年(1891)愛知県西部などに甚大な被害をもたらした濃による短い文章表現は、その情感をより強く読者に訴えかけてくる。 資料名 震災紀念碑年 代 明... -
尾張犬山城主成瀬正成公墓誌銘(2) -家康への追慕 義直の敬愛-
概 要 江戸幕府草創の重臣で尾張藩家老となった成が撰文。家康・正成の関係が、中国諸王朝草創期の君臣協同の有り方と相似するという主張が本碑文の主眼であって、... -
尾張犬山城主成瀬正成公墓誌銘(1) -家康への追慕 義直の敬愛-
概 要 江戸幕府草創の重臣で尾張藩家老となった成が撰文。家康・正成の関係が、中国諸王朝草創期の君臣協同の有り方と相似するという主張が本碑文の主眼であって、... -
水埜士惇君治水碑 -名古屋北部域の水害と治水-
概 要 江戸時代に庄の開削である。大蒲沼を起点とし、庄内川と並行して河道を開削して、はるか伊勢湾まで通じさせた。洗堰と新流路により、洪水時の水勢減衰が図られ... -
従一位毛利公偉勲銘 -日月と光を争う-
概 要 幕府討伐や新政府樹立に多大な貢献を成した長州藩藩主・毛利敬色の本碑が立ち、シンプルな形状ながらも、この空間と溶け合って静かな美しさと厳かさがある。... -
正受翁遺愛碑 -名古屋東部 いまとむかし-
概 要 尾張藩領名古屋により屋敷東方の塚に建碑(近年東に移設)。屋敷地・村落と開鑿池とのほぼ中間にあたり、功績顕彰にはふさわしい地だろう。 城下周縁部に... -
修理洗堰碑
概 要 愛知県西部を東から南へと流れる庄という、堤防より少し低いセキが設けられ、新川への分流量が調整された。それでも庄内川の川底堆積の影響で、新川に水害が頻...